「伯父について」

誕生日を迎える前に

自分の気持ちを整理したかったので

今日は家族について少し書きます。

また個人的な事なので

苦手な方はここまでで終わりにして頂きたい。

 

 

3月7日に伯父の一人が他界しました。

 

伯父は長いこと精神疾患を患っており

入院していた事もありましたが

私達家族と同居していました。

しかし歳を重ねるうちに

徘徊と転倒が多くなり

母一人では介護困難のため

私が妊娠中に再入院しました。

 

伯父が元気だった頃は

性格的に厳しい人(怖い人)でしたが

幼い私達姉妹をよく可愛がってくれ

川遊びや植物、昆虫など教わったり

プールに連れていってもらったりしました。

精神疾患を患ってからは

かなりひどい状況だったため

私はずっと隠してきました。

 

看護学生だった時は

伯父の入院先が実習先の一つにもなっていたので

もちろん避けたし

看護師になっても隠し通しましたが

皮肉にも脳神経科配属となり

疾患により正常に保てない患者さんと接する機会が多く

伯父の置かれてる状況が

少しずつ理解出来るようになり

ケア出来るようになりました。

そしてボランティアを機に作家となり

障害のある方の作品とコラボしたりするうちに

「障害」とは?いろいろ考え

今までの「やってあげる」思いが

「一緒にやる」「共存する」に変わり

「障害」と「健常」の違いって何?

いろんな人がいて当たり前だよなって思いから

伯父に対する考えが変わっていきました。

 

危篤と言われてから

一週間ほど頑張ったのですが

面会に行くたびに思った事は

スタッフさん達が代わる代わる声かけてくれたり

いつ行っても身なりが整えられていて

皆さんに可愛がられた人でした。

伯父は「ありがとう」と

よく言ってくれる人だったので

きっとここまで来るには

たくさんの「ありがとう」を伝えてきたんだろうな。

幼い頃は怖い人だったけど

実は優しい人だったんだと気づかされました。


更に私の中でまだ伯父を隠したい気持ちがあり

伯父と向き合っていなかった事に気づきました。

 

苦しそうな患者を前にした時

「もう苦しまなくていいよ。」と

思ってしまう事が多々あったけど

今回は伯父の姿と今までの人生を思い返すと

「自分の思い通りに、自分のタイミングで生きな。

悔いが残らないように最期の最期の一呼吸まで頑張れ。」

と応援していました。

 

最期は大好きな病院のスタッフさん達に見守られて

天国に旅立ちました。

私達は最期の時に間に合わなかったけど

生きてるうちにたくさんありがとうを伝えられたし

娘と会わせられたし

死に際は自分で決める事を看護師時代に体感していたので

死に目に会えなかったという後悔もなく

最期に会いに行った時

笑顔で「お疲れ様」が言えました。

 

病院の皆さんに感謝です。

幼い娘と一緒の面会を特別に許してくれました。

妊娠中に母と送りに行ったので

娘を見せる事が出来ないなと諦めてたけど

意識があるうちに見せれて良かった。

病や症状にとらわれる事なく

一人の人間として対応しているスタッフさん達の姿を見て

恥だと思っていた伯父が

尊敬する伯父だと気づかせてくれた。

スタッフさん達とのやりとりがなかったら

これを書く気にはなれず

更には娘の病気と伯父の病気を別物と捉え

歪んだ目で人を見る事になっていたと思います。

伯父の生き様が

私の人生観を変えてくれました。

今後、障害のある方ともっとお仕事がしたいと思っていた矢先に

たくさん学ばせてくれた伯父に感謝です。

 

障害者手帳を持ってた伯父は

なんだかんだ言って

カッコいい伯父でした!

 

 

最後までお付き合い頂きありがとうございました。

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